関西誠鏡会の沿革と現状        会長 入江 敏弘(高24期)

同窓生の皆様には、誠鏡会活動におきまして、多大なる御理解頂き誠に有難う御座います。
 八幡高校も平成31年に創立百周年を迎えることが出来ました。  故郷を離れて、ここ関西で同窓会活動に励む私共にとりまして、創立百周年は大きな心 の支えであります。
 現在、関西誠鏡会は年5回の定例会と、レクレーション、ウォーキング同好会及び酒場 研究会の活動を実施し、今年で42回目の総会を迎える運びとなりました。  今でこそ、 体系化され、組織だった同窓会ですが、ここに至る道のりは極めて険しいもので、多くの 諸先輩のご尽力によるものと、お聞きしております。
 特に忘れてはならないのが、創設に多大なるご尽力いただいた大西英爾先輩(高4 期)、そして当番期制を導入され今も関西を支えて下さっている高村馨、次山皖子現両顧 問(高9期)、  最後に阪神大震災を被災されながらも実行委員長をなされた豊田健昭先 輩(高16期)以上4名の諸先輩の名前です。

・黎明期
 関西誠鏡会は、1975年に大西先輩が、高5〜11期の代表者に協力依頼をかけ、1976年に 第1回関西地区同窓会が大阪科学技術センターで開催されたのが始まりで、 それ以降、6 回までは立上に関わった期が、以降は総会に出席していた期に実行委員をお願いして開催 されました。 第10回記念総会は、各期合同で開催され、参加者も110名に達しました。 しかし、幹事引き受け手不在と言う問題で1986年と翌年の2年間休会となり、存続が危ぶ まれました。

・成長期
 1986年の第65回誠鏡会本部総会に出席していた当番期の高村、次山両先輩が、本部総会 で実行委員をした期が翌年関東誠鏡会で当番期を受け持っていた事例を参考とし、 翌々 年に関西で当番期をするという流れを作ろうと提案、1988年に第11回総会を3年ぶりに開 催できました。 翌日の“修学旅行をもう一度”という企画や抽選会がこの年より始まり、 更に第12回からは清田雄司画伯(高3期)による皿倉山の版画が記念品となりました。 再 開後、毎年出席者が増え続けましたが、関西在住の同窓生の出席数は伸び悩んでいました。

・確立期
 当番期を過ぎ使命感が冷めると出席者がゼロになる、関西誠鏡会の存続が危ぶまれる問 題でした。 同窓生の繋がりを強め、会を継続させる体制作りのため、1994年10月に関西 誠鏡会幹事会発足の準備に掛かりました。 しかし、翌年1月に阪神淡路大震災が起こり、 自粛ムード一色の世の中なりました。 その中で被災された実行委員長の豊田先輩が『や ろう』の一言、第18回総会は開催され以後歴代役員のご尽力により継続し、現在に至って います。

                               平成31年4月吉日