大英博物館収蔵作品     その1


大英博物館収蔵記念               清田 雄司

 昨年(2003年)、大英博物館日本セクションチーフのティモシー・クラーク氏から私 の作品を見せてほしいという突然の手紙が届きました。一年前の10月23日奈良県立美術館 の一室でお会いし、4時間余100余点の作品を見られました。その間、椅子に坐る事もなく何回 となく一点一点吸い込まれるように作品に接する姿の厳しさに感じ入る程でした。
結局、タタミ一枚の多色刷りから6号(32cmx40cm)まで23点寄贈の形で収蔵が決まりました。  今年の春23点の永久保存のための作業に入った連絡につづいて、7月永久保存作品からの 厳選作品の展示として、私の作品@「大樹悟恵」1988年桜井市小夫の天神社の大欅A 「大樹流勢」1990大宇陀町本郷の滝桜B「山気墨景」1990年大宇陀町の3点が展示されると 連絡がありました。
この展覧会は、日本の各時代に一貫として流れている精神性をテーマにしているように感じました。 私の作品3点は、会場正面入口の左側に並び、右側には葛飾北斎の冨嶽三十六景の神奈川沖の 冨士の作品「怒濤の間から富士山」、江ノ島遠望の作品が陳列してあった事、現存の作家は 私一人だったと報告を受けて驚きと身の引きしまる思いでした。
 かつて、私の作品を見られたティモシー・クラーク氏が「清田さんは絵を描きながら行を していますね」と言われた事を思い出します。かって日本の禅宗の僧が私の作品を見て全く 同じ事を言われました。奇しくも東西の方々が私の作品について同じ感想を持たれたことに 精神世界のインターナショナルを感じました。
 そんな観点から私の作品が選ばれた事について納得出来るものがあります。


The British Museum Illuminating world culture Arts of Japan
   永久保存作品からの厳選展示 (英文を翻訳したものです。)

【日本の美術:永久保存される物からの精選品】
日本は、東アジアに位置し、大陸からの影響を強く受けている。日本は文化の宝庫 であると言える。歴史的に見て侵略をされたこともなく、新しい文化が古いもの と完全に入れ替わることはめったにない。6世紀には大陸からもたらされた仏教 は日本に古来からある神道と応化した。12世紀からは侍たちにより国が統治され、 皇族と皇居は象徴として存在した。これは彼らの力が不当に使われているときも 同じであった。明治時代(1886-1912)には近代化した政権が急進的に古代から続く 天皇家の名のもと西洋化を奨励した。大英博物館にある日本の伝統的な芸術は ヨーロッパの中で最も広範囲なものを扱っている。それらを通して神秘的な仏教 の複雑な儀礼を見ることができる。美的でロマンにあふれる宮廷における生活様式 は源氏物語(11世紀初頭)のような偉大な文学作品に記されている。 禅仏教の作品 において中世の侍が厳格さを追求したことがわかる。更には江戸時代(1615-1868) において侍や商人が華やかな絵画や装飾用の作品を作り出した。

【日本の美術】
島国である日本は、芸術のスタイルも、もともとはアジア大陸から入って来たもの であり、それらを日本独特のスタイルに発展させた。日本の文化を発展させた 絶対的なものはおそらく神道であろう。それは精神的な世界と肉体的なものの 融合に重きをおいていた。このことは自然、物質、職人の技能に対する尊敬や 愛の念に通ずるものである。
日本人は歴史的にみて木材、紙、絹、竹、漆といった有機物を特に好んだ。石は 1870年代までは建造物や彫刻に多用されることはなかった。古代より日本は 陶芸に置いて高い技術を持っていた。侍の世界における伝統は特に優れた精神の 強さに表れている。
日本の職人は常に表面や古つやについての驚くべき鑑識眼や非対称のデザイン に対する直感力、また空間の特徴的な捉え方においてすばらしい才能を発揮し てきた。

            清田作品 大英展      6/28-9/12,2004


収蔵作品一覧
タイトル制作年サイズ
1刻 皺198790.0 x 182.5
2麦 原198990.0 x 182.5
3大地豊潤  199190.0 x 182.5
4大樹昇龍 2000103.0 x 72.5
5息 吹 198051.5 x 72.5
6烈 樹198651.0 x 73.5
7泰 然198740.0 x 64.0
8大樹悟恵198851.0 x 72.0
9大樹悟恵・繁199051.5 x 72.0
10大樹流勢199051.0 x 72.5
11仙花呼春199151.5 x 87.0
12大樹結界199572.0 x 51.5
13皺 相199651.0 x 72.5
14賀路砂原197530.0 x 41.0
15尾鷲早田町197632.0 x 40.7
16郡 家198632.0 x 40.5
17校 倉198932.0 x 40.0
18山気墨景199032.0 x 40.0
19曼 曼199232.0 x 40.0
20尚 生199232.0 x 40.0
21夏 粧199332.0 x 40.0
22行く道199532.0 x 40.0
23残照帰心199632.0 x 40.5


大樹悟恵(奈良県桜井初小夫 巨樹) 1991年


(大英博物館パンフより)
清田氏にとって、大和地方古代から存在する木々は彼のメインテーマであり、 生命の力を表現できるものである。 そしてこれらの木々は春が来るたびに新たな成長を遂げる。彼はその風景の中で何時間も過ごし、念入りに複雑な枝の形状をスケッチをします。そしてそれをスタジオにて版木に刷り込むのである。この木は奈良県において2番目に大きなもので樹齢1500年とも言われている。最近はこの木の状態があまりよくないので、作者は県や樹木外科術専門家、更には地域の支援団体にこの木を護るよう要請している。



大 樹 流 勢  (奈良・宇陀・本郷の滝桜) 1990年


(わがおもいより)

地底から吸い上げられたエネルギーは花火が炸裂したように大きくカーブして地表を挿す。 梢の枝は湾曲し、無数の交枝は大きな曲面となって早春の空に天然ドームの空間をつくって、私の心を誘い寄せ、包みこむ。 自然の息は風となり、花芽を洗い春粧のリズムとなりながら、枯草の下からちょっぴり 顔をのぞかせている草芽たちとささやく。 春に向かって旺盛な生への意欲はながれる枝の勢いとなる。 この樹を宇陀・本郷の滝桜と命名する。

(大英博物館パンフより)
作者はこの滝のような巨大な枝垂桜の姿を花火のようであると説明している。 この木は無数の枝が我々を包み込み初春の空を背に天然のドームを形作っている。新しく出てくる枝は生命の力に満ち溢れている。清田氏はその地域における長く、波乱に富んだ歴史を静観してきた証人であるそのような古代より存在する木々に対して深く敬意を表している。その歴史は西暦710から794に奈良が日本の首都として存在したころよりも更に古いものである



山気墨景    (奈良県大宇陀町)1990年


(わがおもいより)
 幾重にも重なった山々は、萬葉の古き時からの歴史を刻む。あの山の一つ一つに吉野の町があり、山村があり、人々が歩き、人間のさまざまな営みがある。 そうしたものを全て抱きかかえ、のみ込んで何もない山々の重なりとして存在する。  大気の息は風をおこし宇宙のエネルギーは陽光となって自然を洗い、千変萬化の姿を見せる。
 
(大英博物館パンフより)
歴史的にも文学的にも重要な土地が点在する吉野の町の風景です。山脈の中心に位置する吉野の町やそこにおける人々の活動が灰色の中に微細な変化を与え ている。これは古代の水墨画のようでもある。作者はいかにして神の息吹が風をおこし、神の力が日の光となりその自然の風景を包み込むかを説明している。

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